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横浜の「初めて」:ビール
ビールは初め外国人向けに輸入されたものでしたが、
次第に日本人の愛愛飲家も増えました。
そんな中、明治2年(1869年)サンフランシスコで
ジャパン・ブルワリーの支配人になる契約を結んだウィーガントが来日し、山手46番に「横浜ブルワリー」を創設しました。
これが日本で初めてのビール工場です。
翌年、山手の天沼から湧き出る良質な硬水に眼を付けた
米国人コープランドが、「スプリング・バレー・ブルワリー」を創設。
のちにウィーガントのビール工場と合併しました。
スプリング・バレー・ブルワリーのビール工場で作られていたのが
「バーバリアン・ビール」「ラガー・ビール」などで、
今のキリンビールの前身なのです。
ビール工場の跡は「キリン園」となり、
「麒麟麦酒開源記念碑」が建っています。
その隣の北方小学校の校庭にはビール井戸が二つ残っているのです。