SponsoredLink
横浜はフォトスタジオの聖地
横浜開港資料館は、日本大通り駅が最寄り駅で、
産貿ホールの向かい側にあります。
横浜開港資料館 正面 日米和親条約が結ばれた所です。
横浜開港資料館気品のある部屋
歴史を感じさせる地球儀
中庭にある玉楠の木は、江戸時代からここに植えられ、この木の近くで1854年にアメリカのペリー提督が幕府との間で日米和親条約が結ばれ、横浜の歴史を見つめてきた生き証人ともいえます。
横浜開港資料館横のカフェ
横浜開港資料館裏手
横浜開港記念館では平成24年2月1日から4月15日までの期間に下岡蓮杖開業150周年記念として、横浜のフォトスタジオの歴史や横浜の写真館の歩み、肖像画の展示などを行ったのです。
横浜は商業写真発祥の地として1860(万延元)年頃にアメリカ人のフリーマンが写真館を開業したり、外国人写真家たちが、開港間もない頃の横浜を写真に収めているのです。
150年前に下岡蓮杖という人が1862(文久二)年に写真館を開業し、日本における営業写真の礎を築いたのです。
1890年頃といいますと、色彩豊かな手彩色を施した横浜写真というものが隆盛を極め、日本の写真界の黎明期を支える存在となっていったのです。
20世紀に入ってから、横浜市内には多くの写真館が軒を連ねていて、1910年代の弁天通りを写した彩色絵葉書では、通りの右側手前に「Photo-Studio K.MAEKAWA前川写真館」、左側奥には「Y.WATANABE PHOTOGRAPHER」の2軒の写真館が写っています。
大正初期の頃には、横浜市内に50を超える写真館があり、当時、横浜の写真家は全国の写真家中の高額納税者として、名を連ねていたというほど、隆盛を極めていたのです。
国際港都・横浜として、外国船だけでも年間1.000隻もの船が寄港し、船員たちが旅先の想い出に写真館で写真を撮ってもらったり、彩色絵葉書、生糸や茶を出荷する際のラベルの原版写真の撮影など、写真館の活躍の場は増え、横浜の街は多くの高い技術を備えた写真館を育み、横浜はまさにフォトスタジオの聖地と呼ぶにふさわしい場所となっていったのです。